入院2日目:パルス2日目、明るさが少し戻ってくる
腰と膝の痛みに加えて股関節痛まで出てきたため、ほとんど眠れなかった初日の夜。
明け方にようやくうとうとできたぐらいなので、2日目の朝、頭はほぼ回っていない。
視界の方は変わらず見えないままだけれど、全体的に少し明るさが戻ってきたような気がした。
とはいえ、この時点では視力に変化はなく、視野も欠けたまま。眼球を動かした際の痛みも、まだ残っている。
この日、朝の病棟診察で主治医のDr(初診を担当してくださった女医さん)から血液検査の結果を教えてもらった。視神経脊髄炎(NMO)の可能性を考慮して、入院前に抗AQP4の抗体を調べていたそうだ。
保険適用の検査方法(ELISA法)ではあるものの、結果は陰性。ひとまずはNMOの可能性は低いだろうということに。この時点では多発性硬化症の可能性は除外できなかったわけだけれど、NMOではなさそうということでひと安心。
もちろん、多発性硬化症だから良い、視神経脊髄炎(NMO)だから悪い、ということではなくて。NMOの場合は両眼に症状が出やすいと聞いていたので、ひとまず片目で済みそうだと思って少し安堵したまで。まだMSの可能性は残っているのだし。
ひとつ伝えておきたいこと。
NMOであってもMSであっても、適切な診断を受けて治療を行うことで症状の進行を防ぐことができる。
NMOの場合は再発時の症状が重くなる傾向があるらしいけれど、この点も個人差による部分は大きいのではないかなぁと思ったり。
ステロイドパルス2日目から血糖値が上がるようになった。
朝食前の測定でも135、昼食前には153にまで上がり、今まで『血糖値』という単語と無縁の生活を送っていた身としては、さすがに不安になる。
(ちなみに、後日看護師さんに相談したところ「点滴中は上がりやすくなるので気にしなくて大丈夫」とのことで)
2日目のパルスは初日のような吐き気もなく、3時間半ほどでスムーズに終了。
関節の痛みが出ることもなく、この日は平穏無事に眠りにつくことができた。
入院初日:視神経炎の治療開始
バタバタと仕事の引継ぎを終えて、入院初日。
視神経炎の治療、ということで眼科病棟での入院になった。
入院したのは6人部屋で、同室の方はみなさま白内障の手術を受ける人(もう受けた後の人)のようだった。当然、年齢層も高め。自分の親世代と過ごす生活がスタート。
患者さんの入れ替わりはとても激しく、私が入院してすぐに2名の方が退院、午後に1名の方が新しく入院してきていた。白内障の手術だもんね、そりゃ回転早いわけで。
病室に到着後、薬剤師さんから常用薬とアレルギーについてのヒアリング。
その後は看護師さんから簡単な治療の説明と食事のアレルギーについてのお話を受け、さあ治療開始…かと思いきや、眼科の先生が来るまで待機ということで1時間ほど待つことになった。幸い、お昼ご飯の時間が近かったのでそれほど暇を持て余すこともなく過ごせた。
視神経炎の治療では『ステロイドパルス』と呼ばれる点滴をする。
通常よりも大量のステロイドを短期間にドカン!と投与し、炎症を抑え込むという方法。
3日間の点滴を1クールとし、1クールが終わるごとに回復状況を確認するらしい。1クールで改善される人もいれば、3クールでも回復が弱い人もいるのだとか。
私が点滴で使った薬は”ソル・メルコート”という名前で、3時間かけて点滴していくという方法だった。点滴の副作用で胃を荒らしてしまうから、という理由で胃薬のガスターも同時に点滴されることに。
点滴開始後、強烈な吐き気に襲われる…初めての点滴に身体が反応したのか、薬剤の影響なのか。
グッと堪えて横になることで次第におさまったのだけれど、あともう少し続いていたら絶対にナースコールしてしまったと思う。普段の生活の中で感じる吐き気よりもはるかに強烈で辛かった。
3時間の予定で始まった点滴は、実際には2時間半ほどで終了した。
吐き気の影響もあってほとんど寝て過ごしていたので、あっという間だったなぁというのが正直なところ。
ステロイドパルスを行うと血糖値が上がる場合があるとかで、この日から毎食前に血糖値測定が始まった。
耳たぶに小さな針を刺し、血液を採取してその場で調べる簡単な検査。”針を刺す”といっても輪ゴムがパチンと当たるぐらいの痛みなので、本当にあっという間に終わるのだけれど。
私の場合、ステロイドパルス中の血糖値は130~150ぐらいで変動していた。パルス中でこの程度の数値なら問題はないらしい(看護師さん談)。
序盤の吐き気以外は順調だった初日だけれど、夜になって腰と膝の関節痛に悩まされた。
関節痛の他にも、暑いわけではないのに額や太ももが汗でびっしょりになったり。
結局、この晩はほとんど寝付けなかった。
MS(multiple sclerosis:多発性硬化症)発症の経過(その4)
大学病院に行くことが決まった時点で、実家には連絡を入れていた。
母親に話すと死にそうな様子で心配し始めるのが目に見えていたので「お母さんには内緒ね」と、父親にだけ(笑)。
父親には大学病院での診察が終わってから改めて報告したのだけれど、第一報の時点で症状や治療法、経過などひと通り調べていたようで。
「アメリカでは放っておいても9割は元に戻るっていうし」と意外と楽観的な発言だったので少し安心した。これが母親だったら、大変な騒ぎになっていたはず。
月曜日に神経眼科の偉い先生に診てもらう予定は、検査結果が出揃ってからの方が良いでしょうということで水曜日に延期。
せっかく上司に月曜半休の許可をもらったのに…!
7日目(日曜日)
この日を境に、症状がグンと悪化したようだった。
前日までは”文字がある”ことは認識できていたのに、この日になるとそれすらもわからなくなった。携帯電話のバックライトも、信号機も、テレビの光も認識できなくなり、左目はほぼ役に立たない状態に。
実際に見えなかった(と感じていた)箇所は視野の中心部分のみで、これは『中心暗点』という症状らしい。
ならば視界の端をうまく使えば見えるんじゃね?と思って実際に試してみるも「見ようとする」際には必ず視野の中央に視線がいくわけで…相当意識していても、視界の端をうまく使うことは難しかった。無理。
8日目(月曜日)
左目がほぼ使い物にならないながらも、なんとか出勤して仕事をこなす。
右目に負担をかけながら、なんとか1日を過ごすことはできた。
実は一番苦労したのは、メイクのとき。右のアイラインをひくときには当然、右目を瞑らなくてはならぬ。かといって左目はほとんど見えない状態だし、たかがアイラインでかなり悪戦苦闘した記憶がある。
9日目(火曜日)
この日の記録は何故か残っていない。恐らく、月曜日とあまり変わらなかったのではなかろうか。
10日目(水曜日)
神経眼科の偉い先生に診てもらう日。
分厚いルーペみたいなもので左目を見るなり「腫れてるじゃないか」と。
今日から入院、と言われたけれど、そんなの聞いてないよ!
ということで、何とか頼み込んで翌日からにしてもらう。初診を担当してくれた女医さんからは「入院できるように準備してきてほしかった」とやや恨めしげに言われたけれど…。
そんな急を要する事態だとは思わなかったし(偉い先生の診察が延びたぐらいだし)、いくらか猶予があると思っていたので当然用意なんてしているわけもなく。
仕事の引継ぎもあるので、とお願いして翌日木曜から入院に突入することに。
この日は1日お休みをもらっていたのだけれど、翌日から入院となったので、診察が終わってすぐに上司に電話。カクカクシカジカで、と事情を話し、その足で会社に向かい急遽引継ぎの相談を。月末やらなければならない処理がほぼ終わっていたことは、不幸中の幸いだった。念のために、と前日頑張った自分を褒めたい。
結果から言うと入院期間は9日間だったのだけれど、この時点では「はっきりとした期間はわかりません」と言われていた。治療の効果がすぐに出れば1週間程度、効果が見られなければもう少しかかる、と。
仕事を離れるのに予定が分からないことを申し訳なく思いながら、ともかく入院生活がスタートしたのだった。
MS(multiple sclerosis:多発性硬化症)発症の経過(その3)
6日目、土曜日。
紹介状を持って大学病院に行く日。朝イチで向かう予定をしていたのに、前夜なかなか寝付けなかったせいか寝過ごして出遅れる、というグダグダのスタートに。
ネットで調べた時から『球後視神経炎』だろうと予想はしていたし、その場合は『多発性硬化症』という病気に移行する可能性があることも知ってはいたけれど、やはり医師からその可能性を暗に告げられたというのは少々ショックだったのかもしれない。
この日には左目の見えづらいエリアはかなり広がっていて、左目で鏡を見ると自分の顔がのっぺらぼうになるという有様。「何かがある」ことは感知できても、細かい部分は全くわからなかったので、文字を読むなんてもってのほか。
大学病院で改めて視力検査を行ったのだけれど、その時点で左目が全く見えないことを突き付けられて、さすがに軽く動揺した。
検査員からは「目の端っこで見るようにしてくださいね」と言われるのだけれど、これがまた難しい。見ようとするとどうしても目が動いてしまうので、かなり苦労した。
視力検査と診察の結果は、やはり『球後視神経炎』の可能性が高いという判断で、原因疾患の有無を追加検査で調べることに。
以下、前回に引き続き当日のメモより抜粋。
=======これより転記
MS(multiple sclerosis:多発性硬化症)発症の経過(その2)
木曜日。異常を感じてから4日目。
この日は正直なところ、特に変化を感じることもなく過ごしていた。
翌日に検査をする、と決まっていたため気持ちが落ち着いていただけかもしれないけれど。
痛みの感じ方や見え方(視界の横一線にグレーのラインが見える)など、冷静に観察していたな、と振り返って思う。
金曜日、5日目。
この日は元々、母親と出かける予定で有給休暇を取っていた日。
国立新美術館で開催されていた「マグリット展」に行く約束をしていた。老婆とのデートである。
学生時代に渋谷のBunkamuraで開催されていたものに行って以来、ということで心の底から楽しみにしていた。
(ちなみに一番楽しみにしていたのは「光の帝国」がまた見られる!ということだったのだけれど)
しかし。この日になると視界がかなり悪化していて、ぼやけて見づらいエリアが相当広がっていて。
左目で見る視界は、ぼやけていない部分もなんだかザラついていて、擦りガラス越しに見ているよう。明るさもかなり落ちていたので、両目を開けていても実質右目だけで見ているような感覚だった。
そんな具合で、せっかく楽しみにしていたマグリットの絵画もイマイチよく見えず…必死で近付いて右目を凝らす、ということを繰り返していたのをよく覚えている。
母親と別れ、夕方から眼科へ。眼科の検査では「眼底の撮影」と「視野検査」を。
視野検査の結果、左目の右下がすっぽり抜け落ちているという結果に。水曜日に感じていた”視野が欠けてる気がする”という感覚は、どうやら正しかったらしい。
問診では、眼球の動きと眼球チェックがあり、現時点での見え方、痛みについてかなり細かく医師に伝えた。
「甲状腺の病気に罹ったことはあるか?」という質問もあったなぁ。
以下、診察直後にスマホにメモした内容を、そのまま。医師とのやり取りや、その時に感じたことがそのまま残っているので、少し長くなりますがご容赦ください。
=======ここから転記
MS(multiple sclerosis:多発性硬化症)発症の経過(その1)
『多発性硬化症』という耳慣れない病名に出会ったのは、今から2年半ほど前。
『視神経炎』という病気を発症してから数日後のこと。
そもそものはじまりは”目が痛い”という症状で。
眼球の表面が痛むのではなくて、”眼球が内側から引っ張られているような”痛み。
やたらと目が霞むので「疲れ目かな?」と思い、眼球のストレッチをしようと目を閉じて目玉をぐるぐると回したところ、痛む。
「おや?」と思ったのが1日目。
2日目。目の霞みは落ち着いたものの、痛みは変わらず。
視線を動かそうとすると痛む。そういえば、痛いのは左目だけだな、と気付いたのは、この日だった。
「うーん、一晩寝れば治ると思ってたのになぁ。。」なんて呑気に思っていた火曜日。
3日目。出勤しようと家を出たところで、視界が何かおかしいことに気付く。
当時は裸眼で出勤(!)して会社でコンタクトを装着する、という生活をしていたのだけれど。
裸眼の状態では右目の方が視力が悪いはずなのに、何故か左目の視野だけぼんやりと霞んで見える。
そして更に、両目で見ると左目で見ている部分だけ視野が欠けているような・・・
気のせいかも、と思い直して出勤したものの、コンタクトを装着しても見え方、変わらず。
寧ろ、コンタクトで視力が矯正されたおかげで左目の異常が際立つ羽目に。さすがに不安になり、仕事中にこっそりネットで調べるという暴挙をかました、わたし。
調べたキーワードは【眼球 動かす 痛い】。ヒットしたページをひとつずつ確認していくうちに、どうやら『視神経炎』というものになっているらしいと気付く。
思い余って、昼休みを利用して会社の近くにある眼科へ。
この時、コンタクトで矯正しているにもかかわらず左目の視力は0.3まで落ちていた。
ただ、表側から診察してみる限りは傷もないし炎症も見当たらない。詳細は検査しなければ、ということで2日後に検査の予約を取り、この日はそのまま仕事へ戻ったのでした。
書き手のこと。
*80年代生まれ。周囲の話を聞く限り、中身はだいぶ伴っていないようです。
平日は会社員として働いています。8年目になるので後輩の指導なども担当しなければならないのですが、どうも苦手です。
*基本的に、インドア派の単独行動 です。
集団行動が苦手なわけではないですし、それなりに適応はしますが自分の気持ちの赴くままにフラフラと動くのが好き。これは書き手が一人っ子であるが故なのかもしれません。
とあるサッカークラブのサポーターでもあるので、自宅近郊で試合があるときには出かけていきます。でもそれ以外はほとんど自宅または自宅周辺で過ごしています。地元大好き。
*猫好き。猫と暮らせる部屋に転居して1年、ようやく念願の同居を始めました。
猫の話も書いていくかもしれません。
*「多発性硬化症」という持病があります。国指定の難病ですが、本人は至って健康体です。
持病があると判った時は、色々と調べました。
専門のお医者様が運営しているWebサイトや製薬メーカーが運営している患者向け情報、個人ブログなど。
その中で感じたのは、マイナスの情報が多いということ。
もちろん国指定の難病なので、楽観的な情報ばかりにはならないと思います。
でも、軽症で日々元気に過ごしている方もいるはず。
症状も経過も人それぞれ、と言われるものだからこそ、元気に過ごしているよ!という情報が増えても良いのではないかな、と。
情報発信、なんて大袈裟でおこがましいことを言うつもりは全くありませんが、何かの折にもしお役に立つことがあればいいな、とは思っています。