日日是好日

多発性硬化症とお付き合いしていく、猫好きワーカーの記録

引越し前後で慌ただしかった秋

入院した年の11月、引越しました。

引越し先は同じ県内。それまで住んでいた市を県央とすれば、新しい住まいは県北になる。

とはいえ、実質としては2つほど市を挟んだだけ、移動時間も1時間ほど。

引越しが決まってから当日までは1か月ほどあったはずなのに、荷物がとにかく多かった私は、直前まで仕事が立て込んでいたこともあり荷造りが追い付かず。

季節の服や本はあらかた詰めていたものの、日常的に使っていたこまごまとしたものが意外と多くて、最終的に徹夜&気合という力技で箱詰めミッションを終わらせたのだった。

 

当然、荷解きにもかなりパワーが必要だったのは言うまでもなく。

徹夜の荷造りから翌日の荷運び、荷解きして寝床を整えるまで約40時間ぶっ通しで起きるという荒業をする羽目に。

しかも、引越しから2日後にはサッカー観戦に出かけるという強行軍(近場とはいえ)をやってのけたので、あちらこちらに不具合が出る始末。

そんなわけで、10月後半から12月半ばまでは相当まいっていた(自業自得だけれど)。

 

当時のメモを読み返してみると

筋肉痛、だるい、しびれる、だるい、何もしたくない、、、

いま思えば、11月にあれもこれもとすし詰めにしてしまったのが良くなかったんじゃないかなー、という気がしなくもないけれど…

  

この月の終わりには3か月ぶりのMRIを撮った。

翌月の診察で見せてもらった画像には、入院前に撮ったMRIには見当たらなかった、白くぼんやりとした病巣が。こうして再発と共に『多発性硬化症疑い』から『ほぼ確定』に移行したのだった。

退院翌月の通院:気になることはあるものの。

退院後2回目の神経内科&眼科ダブル受診日。

 

この日までに脊椎のMRIを撮っていたので、脊椎MRIの結果も聞きつつ経過報告。

実はこの頃までに、若干の手の痺れ感と左足の痺れ感が出ていた。

 
まず、脊椎のMRIは異常なし(ほっ)。
手足の痺れ感について話したところ”んー、、”といった反応が返ってきた。。やはりこのレベルだと『症状』と言えないようだ。
ま、予想はしていたけどね!気にはなるものの、あまり深く考えないことにする。

 

そもそも、入院時の6月時点で撮った頭部MRIで指摘された病変。
これ、リアルタイムで出てきた病変ではなくて、時間が経った古い病変だったらしい。
新しいものだと、もっとはっきりと腫れて見えるいるのだとか。
 
ということは。
自覚症状が出る前から、見えないところで進行していたってこと?
…恐るべし、MS…
とはいえ身体機能には関係ない部分の病変だというし、今の時点でくよくよと気にする必要はないのだろう。
 
そして今後の方針についても少し話を。
MS疑いの段階から治療するか否かは医師によって異なる、と。
病院によっては積極的に治療を進めるところもあるけど、女性の場合は治療を始めると(薬の影響で)妊娠できなくなってしまったりするので、どうしましょうかねー、というお話。
続きを読む

退院から1週間:悶々と悩む日々。

入院中も、退院後の外来でも落ち着いていたのだけれど。
この日になってから、色々と悶々と思いを巡らせるようになった。
以下は、当時のメモ書き。
 
=====
多発性硬化症だと決まった場合、治療をどうするのかしら。
神経内科の先生は”内服”と言っていたので、恐らくジレニアかイムセラの服用になるのかな。
1カプセルの薬価が8,148円という、びっくりするお値段のお薬。
※1)2015年7月の時点では、内服薬はジレニア/イムセラしかありませんでした。
※2)薬価は当時のものです。現在は変更されています。
 
従来の薬に比べたら効果ははるかに高いみたいだけれど、何せ発売が2011年11月と市販されてからまだ歴史の浅い薬。
当然、長期服用した場合のデータはまだ少ないわけで。
国内で服用した2,000のうち、亡くなった方が2名いる。
さて、どうしたものか。
 
治療を始めるタイミングにも迷う。
今の状態だと、確定診断ができる=再発になるわけで。
…右目もこんな状態になった日には、それは困るわけで。
脊髄に炎症でも出ていれば、話は別なのかもしれないけど(その場合は視神経脊髄炎になるのかな?)。
 
再発(と確定診断)を待つか。
再発を防ぐべく、早目に治療を始めるか。
 
1カプセル8,000円オーバー…保険適用でも2,000円の薬なんて無理だし、治療するなら難病医療費の申請が必要だよね。でも、確定診断が出る前に申請ってできるんだろうか。
 
そもそも、MSじゃない可能性だってゼロじゃない。
そのMSじゃない可能性がどのぐらいなのか、その可能性が増す見込みってどんなもんなのか。
考え出すとキリがない。
 
あと、免疫の病気だって聞くけれど、それなら免疫をあげた方がいいのかしら。下手に刺激しない方がいいのかしら。
ああ、わからないことだらけだ!
 
=====
 
また、この数日後にはこんなメモ書きを残している。
 
=====
ネットで見てしまった「脳萎縮が進行していく様子」を思い出して
ちょっぴり鬱々となってみたり。
 
5年、10年・・・と経過する度に、ちょっとずつ黒い空間が増えていくMRIの画像が
どうしても頭から離れなくて。
やっぱり、確定診断に関わらず早くから治療を始めた方がいいのだろう。けれど。
 
「疑い」の段階で特定疾患の申請って出せるのかな。通るのかな。
それって、迷惑じゃないかな。
歩けないとか導尿必要とか、そんな段階じゃないのに。
もっと大変な状態にある人が、使えるものなのではなかろうか。
「税金の無駄遣い」なんて言葉が頭を掠めるわけで。
(いや、私もちゃんと納税してるんだけどね)
=====
 
いま読み返しても、悶々とオロオロとしているのがよくわかる。
周りに相談できる人がいるわけでもなく、そもそも確定診断されていない自分が相談してどうするのだろうか?とモヤモヤしつつ過ごしていた。
 
ただ、この頃から『多発性硬化症』やそれにまつわる情報を更に調べるようになった。
なるべく、公的な立場から情報発信されているものを見るようにして、自分なりにかみ砕いて理解できるように、心がけるようにしながら過ごしていた。

退院から5日目:退院後、初の外来

退院から気付けば5日。

この日は退院後、初の外来受診。眼科と神経内科のダブル受診である。

 

まずは眼科で視野検査と診察を。

視野の方は中央部分にまだ見えづらい部分が残っているものの、回復過程としては上々のようだ。瞳孔の反応も(完全ではないけど)戻ってきているとのこと。

視力も矯正で1.2まで回復している、と主治医も嬉しそうな表情だった。

 
そして初の神経内科へ。
入院期間中の診察で、鞄を忘れてお帰りになってしまったあの医師が待っていた。
 
開口一番「しばらく聞かないと思ってたら、退院されてたんですねー」と。
そこ、共有されてないんだ!とびっくりしつつ、退院した週明けから仕事に復帰していること、視力は矯正1.2まで回復していることを伝える。
 
ふんふんと話を聞きながら何か紙を取り出した医師、さらさらと絵を描き始めた。目と脳と脊髄の絵を描きながら、今の状態を淡々と説明してくれる。
 
神経のお話。中枢神経と末梢神経があるよーというお話。
今回は眼の神経に症状が出たけれど、MRIで3箇所の病変があるので多発性硬化症の疑いが高い。
ただ、初発なので確定ではない。再発しないと確定診断はできないけれど、でも可能性は高いと思う、と。
 
多発性硬化症の場合、薬で再発を抑える治療法になる。ただ、薬を使っている間は妊娠を避けねばならない。
 
治療をいつから始めるかは医師によって様々で、”多発性硬化症疑い”の時点から始める医師もいれば、再発した段階で治療スタートにする医師もいる。専門の先生のなかでも意見は様々だ、と。
 
実は、視神経炎であるとわかってからネットで色々と情報を調べていたので、多発性硬化症がどんな病気で、どういった治療法があるのか、何に気を付けなければいけないのか、といった情報は何となく理解していた。
そんな状況だったから、神経内科の医師から聞いた話もほぼ想定内だったし、ショックを受けることはなかった。
あ、やっぱり。というのが当時の正直な気持ち。いやー、えらくレアなクジをひいたもんだな、と。
 
とはいえ、一縷の望み(?)をかけて質問してみた。
MRIで映った病変が、他の疾患の症状だという可能性はありませんか?と。
 
医師は”おっ”という顔になり、表情そのままで「いい質問ですね!」と仰った。
続けて「病変の場所からして、ほぼ間違いないと思う」とのお答え。
 
さて、どうしたものか…と思いつつも、今のところどうしようもないわけで。ひとまずは経過観察ということでMRIと診察の予約を取って、この日の通院は終了。

入院9日目。退院日!

入院最後の朝は、生憎の雨模様・・・まじかー。荷物あるのに。

 

採血を済ませた後、最後の病院ごはんをいただく。

採血の結果が出る前に、こちらも入院最後の主治医の診察。昨日から特に変わったところもなく、主治医としては少し残念そうだったけれど、こちらとしてはビバ退院!である。

 

ステロイドパルスを始めるときには、点滴が終わった後にステロイドの内服があるかもという話だったけれど、今回は内服はしないということで。

今後、もし「多発性硬化症」という診断がついた場合は別の薬を内服することになります、とのこと。

とりあえずはストレスを溜めないように、あまり詰め込みすぎないように、とアドバイスをいただき、診察終了。

 

荷物も全てまとめて、着替えも済ませて、お昼を過ぎて。周りの患者さんがお昼を食べ終わった頃になってようやく、血液検査の結果が出た。お昼前に退院するつもりで、お昼ごはん頼まなかったのに!!

 

炎症反応の値(白血球の数値)が出ているものの、原因を探るレベルではない、と。

とはいえ「あまり人混みには行かないようにしてくださいね」「休みの間でも、異常があったら代表電話→眼科外来に電話ください」と重々言い含められる。

視神経炎の原因がはっきりしていない以上、眼科でできることは、視力の回復状態をチェックすることぐらいなのだろう。

 

お礼を言って、主治医とも(数日間の)お別れ。・・・また外来でお世話になるので(笑)

主治医は今年からこの病院に来たお医者さまだそうで、説明の拙さや、わたわたしてる様子や、患者としては正直不安になることも多かったけれど。

でも、いつもいつも一生懸命向き合ってくれているのは感じられたし、頑張ってくれているのも伝わってきたので、今となってはこの先生で良かったなーと思ってるよ。

入院8日目:パルス2クール終了。退院予定が決まる。

入院8日目、パルス2クール目に突入してから3日目を迎える日。

この日は何故か夜中に目が覚めた。

すっかり明け方かと思って時計を見ると、まだ深夜2時・・・うそでしょー。

持ち込んでいたカモミールティーを飲んだり、ゴロゴロしたり、何とか眠ろうと努力はしたものの、結局起床時間まで熟睡はできず。無念。

 

この日の診察では、反射反応も見え方もかなり回復していると言われた。

この調子なら大丈夫でしょう、ということで。

この日の午後に視野検査→翌日朝に採血、結果が問題なければ退院!というスケジュールが急遽組まれた。

『入院も急なら退院も急である』

この時、携帯のメモに残していた言葉。文字通り、怒涛の入院生活・・・。

 

午後の視野検査では前回の検査から大きな変化はなかったものの、経過順調なのでこのまま翌日に退院、という運びになった。

退院手続きのお話も聞き、まとめられる荷物をまとめ、いざ病院最後の夜!

入院6日目〜7日目:パルス2クール目へ

≪6日目≫

この日からいよいよ、パルス2クール目に突入。

ちなみに、カンファレンスの結果が知らされたのは朝食前の診察時でした。病院における物事の進み具合って、こんなものなのだろうか。

 

ステロイドパルスの副作用で寝付きが悪くなる(ギンギラに覚醒しちゃうらしい)ことを避けるために、点滴はいつも午前中からスタートしていた。

1クール終了時点で点滴ルートを抜いていたので、この日は再び腕に針を刺すことに。

・・・なのだけれど、担当してくれた医師があまり慣れていらっしゃらなかったようで。見ているこちらが相当ハラハラした。

針を刺しただけで左腕が血塗れになったり、1回目のようにスムーズにはいかなかったなぁ…

 

ちなみに、パルスが始まってからお手洗いの回数が増えた。

最初は「何事?!」と不安に感じていたのですが、どうやら点滴で体内の水分が増えているため、だったようで。

確かに、お薬と一緒に生理食塩水も入っているわけだし。自覚はないものの水をがぶ飲みしているのと同じなわけで。

言われてみればその通り!なのだけれど、最初の頃は頻尿になったかと思って焦りました。

 

パルスの副作用?なのか、入院中はずっと微熱が続いていた。

本人には全く自覚がなかったものの、検温の度に「あら、微熱ね〜」と言われるという。

 

≪7日目≫

2クール目になると、点滴されている側もだいぶ慣れてくる。

とはいえ当初は1週間ぐらいの入院、と言われていただけに、その日を迎えてもまだ入院か…と少し凹みはしたけれど。

 

左目の炎症はまだ残っているものの、経過は順調。

この日はサッカーの代表戦があったので、夕食後はいそいそとTVに向かい、試合を見ることができる幸せを噛み締める。

そんなこんなしていると、大部屋の向こう側から

「あー!」という悲鳴や「いけー!」という声が・・・

同じ部屋には、救急搬送された高齢の女性が入院していたのだけれど、このおばさま、どうやらサッカーがお好きだった様子。

具合が悪いのだと勘違いした同室の方が「…大丈夫ですか…?」とそっと声をかける、という微笑ましいひと幕もあり、7日目の夜は平和に更けていった。