MS(multiple sclerosis:多発性硬化症)発症の経過(その4)
大学病院に行くことが決まった時点で、実家には連絡を入れていた。
母親に話すと死にそうな様子で心配し始めるのが目に見えていたので「お母さんには内緒ね」と、父親にだけ(笑)。
父親には大学病院での診察が終わってから改めて報告したのだけれど、第一報の時点で症状や治療法、経過などひと通り調べていたようで。
「アメリカでは放っておいても9割は元に戻るっていうし」と意外と楽観的な発言だったので少し安心した。これが母親だったら、大変な騒ぎになっていたはず。
月曜日に神経眼科の偉い先生に診てもらう予定は、検査結果が出揃ってからの方が良いでしょうということで水曜日に延期。
せっかく上司に月曜半休の許可をもらったのに…!
7日目(日曜日)
この日を境に、症状がグンと悪化したようだった。
前日までは”文字がある”ことは認識できていたのに、この日になるとそれすらもわからなくなった。携帯電話のバックライトも、信号機も、テレビの光も認識できなくなり、左目はほぼ役に立たない状態に。
実際に見えなかった(と感じていた)箇所は視野の中心部分のみで、これは『中心暗点』という症状らしい。
ならば視界の端をうまく使えば見えるんじゃね?と思って実際に試してみるも「見ようとする」際には必ず視野の中央に視線がいくわけで…相当意識していても、視界の端をうまく使うことは難しかった。無理。
8日目(月曜日)
左目がほぼ使い物にならないながらも、なんとか出勤して仕事をこなす。
右目に負担をかけながら、なんとか1日を過ごすことはできた。
実は一番苦労したのは、メイクのとき。右のアイラインをひくときには当然、右目を瞑らなくてはならぬ。かといって左目はほとんど見えない状態だし、たかがアイラインでかなり悪戦苦闘した記憶がある。
9日目(火曜日)
この日の記録は何故か残っていない。恐らく、月曜日とあまり変わらなかったのではなかろうか。
10日目(水曜日)
神経眼科の偉い先生に診てもらう日。
分厚いルーペみたいなもので左目を見るなり「腫れてるじゃないか」と。
今日から入院、と言われたけれど、そんなの聞いてないよ!
ということで、何とか頼み込んで翌日からにしてもらう。初診を担当してくれた女医さんからは「入院できるように準備してきてほしかった」とやや恨めしげに言われたけれど…。
そんな急を要する事態だとは思わなかったし(偉い先生の診察が延びたぐらいだし)、いくらか猶予があると思っていたので当然用意なんてしているわけもなく。
仕事の引継ぎもあるので、とお願いして翌日木曜から入院に突入することに。
この日は1日お休みをもらっていたのだけれど、翌日から入院となったので、診察が終わってすぐに上司に電話。カクカクシカジカで、と事情を話し、その足で会社に向かい急遽引継ぎの相談を。月末やらなければならない処理がほぼ終わっていたことは、不幸中の幸いだった。念のために、と前日頑張った自分を褒めたい。
結果から言うと入院期間は9日間だったのだけれど、この時点では「はっきりとした期間はわかりません」と言われていた。治療の効果がすぐに出れば1週間程度、効果が見られなければもう少しかかる、と。
仕事を離れるのに予定が分からないことを申し訳なく思いながら、ともかく入院生活がスタートしたのだった。