日日是好日

多発性硬化症とお付き合いしていく、猫好きワーカーの記録

入院6日目〜7日目:パルス2クール目へ

≪6日目≫

この日からいよいよ、パルス2クール目に突入。

ちなみに、カンファレンスの結果が知らされたのは朝食前の診察時でした。病院における物事の進み具合って、こんなものなのだろうか。

 

ステロイドパルスの副作用で寝付きが悪くなる(ギンギラに覚醒しちゃうらしい)ことを避けるために、点滴はいつも午前中からスタートしていた。

1クール終了時点で点滴ルートを抜いていたので、この日は再び腕に針を刺すことに。

・・・なのだけれど、担当してくれた医師があまり慣れていらっしゃらなかったようで。見ているこちらが相当ハラハラした。

針を刺しただけで左腕が血塗れになったり、1回目のようにスムーズにはいかなかったなぁ…

 

ちなみに、パルスが始まってからお手洗いの回数が増えた。

最初は「何事?!」と不安に感じていたのですが、どうやら点滴で体内の水分が増えているため、だったようで。

確かに、お薬と一緒に生理食塩水も入っているわけだし。自覚はないものの水をがぶ飲みしているのと同じなわけで。

言われてみればその通り!なのだけれど、最初の頃は頻尿になったかと思って焦りました。

 

パルスの副作用?なのか、入院中はずっと微熱が続いていた。

本人には全く自覚がなかったものの、検温の度に「あら、微熱ね〜」と言われるという。

 

≪7日目≫

2クール目になると、点滴されている側もだいぶ慣れてくる。

とはいえ当初は1週間ぐらいの入院、と言われていただけに、その日を迎えてもまだ入院か…と少し凹みはしたけれど。

 

左目の炎症はまだ残っているものの、経過は順調。

この日はサッカーの代表戦があったので、夕食後はいそいそとTVに向かい、試合を見ることができる幸せを噛み締める。

そんなこんなしていると、大部屋の向こう側から

「あー!」という悲鳴や「いけー!」という声が・・・

同じ部屋には、救急搬送された高齢の女性が入院していたのだけれど、このおばさま、どうやらサッカーがお好きだった様子。

具合が悪いのだと勘違いした同室の方が「…大丈夫ですか…?」とそっと声をかける、という微笑ましいひと幕もあり、7日目の夜は平和に更けていった。

入院5日目:パルス1クール目の効果は・・・?

前日に早く寝たお陰なのか、この日は5時に目が覚めた。

脇の下、首筋、脇腹などがやたらと筋肉痛のように痛む。最初は「外出したから筋肉痛かな?」と思っていたのだけれど、筋肉痛にしては妙な場所が痛むので気になっていた。

 

この日になると、視野の明るさはかなり戻ってきていて、大学病院での初診時と同じぐらいの感覚だった。

まだ見えない部分は残っているし、眼球運動痛も少しあるけれど、日常生活なら何とかなりそうだな、と思えるぐらいには回復してきたと実感。

  

眼科診察前の視力検査では、視力検査のマーク(Cみたいなアレですね)が認識できるようになっていた。入院時には「どこにマークがあるんですか!」という有様だったので、この出来事にはちょっと感激した。

この日、視力は矯正で0.4まで回復。視野も少し戻ってきた。。

 

このまま治療終了で、あとは自然回復になるのでは?と考えていたのだけれど、結果的にはステロイドパルスをもう1クール行うことになった。

完全に回復しているわけではないし、ここまで回復してきているのなら1クール追加で勢いをつけたい、というのが教授先生の意見。

とはいえ、パルスで何か副作用が出ているのなら無理に2クール目をやらない方が良いという話とで血液検査をすることに。

結果、血液検査で問題はなかったものの、身体に痛みが出ていることが気になるので、もう少し検討してからパルス2クール目を決めましょう、ということで落ち着いた。

 

ちなみに、眼科の教授先生が言っていた『検討』というのは神経内科の先生に診てもらうことだったようで・・・

病棟でのんびりコーヒーを飲んでいたところに「神経内科の診察あるからね」と看護師さんに言われ、慌てて病室に戻る・・・なんてこともあったり、なかったり。

 

その後ふらりとやってきた先生は、しばらくあちこち触ったり叩いたりした後に

「これは副作用ではなくて、リンパじゃないかな?」

と仰ってお帰りになりました。来た時に持っていた鞄を置いて。

 

少し経ってから「鞄、ありませんかね?」と再びふらりと姿を見せた先生を見て

"…大丈夫かな?"と少し不安に思った私を許してほしい。不安に、なるよね・・・?

(反面、"この先生は面白そうだな"とも思ったのだけれど)

何を隠そう、この時に鞄を置き忘れていった神経内科の医師が、現在の主治医である。

 

実はこの時点で「多発性硬化症の疑いあり」とは言われていた。

が、パルスを始めてしまった後で検査をするわけにもいかず、ひとまず治療を進めて様子をみましょう、ということに。

今回の視神経炎が多発性硬化症の症状なのか、単純な視神経炎なのかが判断できるのには、少し時間がかかるのだな、とぼんやり思う。

 

2クール目の可能性=入院が延びる可能性が出てきたので、職場にはこの日に一度連絡を入れていた。

ついでに実家にも、簡単に経過報告を。

 

「夕方のカンファレンスで今後の方針を決めます」ということで、パルス2クール目については明日の朝まで持ち越しとなった。

2018年現在のこと

新年になってからすっかり日が経ってしまいましたが

あけましておめでとうございます。

2018年、みなさまにとっても穏やかな年となりますよう。

 

さて、今まではMSの発症から入院までの経過を書いてきたけれど、今日は現在の状況をひとつ、公開してみようかなと。

 

入院記録も、現在に至るまでの経過も、まだ書き終わっていない状態ではあるけれど『軽症で日々何事もなく過ごせているよ!』という情報を、このあたりであえて挟んでおこうかなと。

 

この病気の情報をネットで探すと、どうしても調子の悪い時のお話だったり再発した時のお話だったり、というものが目立ちやすいというか、中心になりがちかなと思っていて。

経過も予後もそれぞれ全く違う病気である以上、脚に後遺症が残って車椅子の生活を送っている方もいれば、私のように「ひょっとして誤診じゃね?」と思いながら日々暮らしている人もいるわけで。

なので、軽症で何事もなく過ごせているよ!という情報を、このあたりであえて挟んでおこうかなと。あくまでも1個人の情報ですので、こういうケースもあるんだ!ぐらいに思って読んでいただけましたら。

(個人の感想です、っていうやつね)

 

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入院3日目~4日目:パルス1クール終了。外出許可が下りる。

《入院3日目》

3日目になると、病院での生活にもだいぶ慣れてくる。

この日は照明の一斉点灯時刻より前に目が覚めたので、先に洗顔と身支度を済ませてしまった。

病棟備え付けの給茶機(自由にお茶が飲めるのだ!)でほうじ茶をいただきながらのんびり過ごしたり、同部屋の患者さんとおしゃべりしたり、幾分余裕をもって過ごせるようになったのもこの頃から。

 

朝食前の診察では、まだ炎症は残っているという話だったけれど、眼球を動かしたときの痛みがほとんど感じなくなっていて「良くなっている!という自覚があった。

パルス3日目なので点滴は今日で一時終了、2日後の検査結果で2クール目を行うか決める、とのこと。

 

この日は母が面会に来てくれた。

(流石に入院となると父も話をしたらしい)

病棟で話をするのも落ち着かないので、別棟にあるレストランでケーキセット(!)をいただきながら1時間ほどおしゃべり。

ただでさえ血糖値が上がっているのに、ケーキセットとは、これ如何に…。当然のように夕食前の血糖値は159と過去最高を更新したのだった(でも後悔はしていない)。

 

《入院4日目》

この日は半日の外出許可をもらっていた。

実はパルス開始後から微熱が続いていたのだけど、まあ問題ないでしょうとのことで朝食後に病院を出て、3日ぶりの自宅へ。

この日になると左目の状態は少し改善されていて「ものがあるな」ぐらいの認識はできるようになっていた。

 

1時間半ほどかけて自宅に戻り、入院前に残していた洗濯と掃除を済ませる。なんと言っても、バタバタと入院してしまったからね。

終わった後は、荷物のまとめ直し。入院してから「これがあったら!」と思ったものを詰め込み、「これいらね」というものを自宅に置き去りに。退院することを考えて、荷物をまとめやすいように旅行用のキャリーバッグを持ち出すことにする。

 

お昼ごはんは近場の韓国料理のお店にお邪魔した。病院では絶対にお目にかかれないであろう、冷麺とビビンパのセット。

あー、好きなものを食べられるって幸せだなぁ…そんなことをしみじみ感じながら病院へ。

 

たった数時間の外出だったけれど、入院中で体力が落ちていたのか、予想以上にぐったりと疲れてしまって、この日は消灯前に寝落ちしていた。

入院2日目:パルス2日目、明るさが少し戻ってくる

腰と膝の痛みに加えて股関節痛まで出てきたため、ほとんど眠れなかった初日の夜。

明け方にようやくうとうとできたぐらいなので、2日目の朝、頭はほぼ回っていない。

 

視界の方は変わらず見えないままだけれど、全体的に少し明るさが戻ってきたような気がした。

とはいえ、この時点では視力に変化はなく、視野も欠けたまま。眼球を動かした際の痛みも、まだ残っている。

 

この日、朝の病棟診察で主治医のDr(初診を担当してくださった女医さん)から血液検査の結果を教えてもらった。視神経脊髄炎(NMO)の可能性を考慮して、入院前に抗AQP4の抗体を調べていたそうだ。

保険適用の検査方法(ELISA法)ではあるものの、結果は陰性。ひとまずはNMOの可能性は低いだろうということに。この時点では多発性硬化症の可能性は除外できなかったわけだけれど、NMOではなさそうということでひと安心。

 

もちろん、多発性硬化症だから良い、視神経脊髄炎(NMO)だから悪い、ということではなくて。NMOの場合は両眼に症状が出やすいと聞いていたので、ひとまず片目で済みそうだと思って少し安堵したまで。まだMSの可能性は残っているのだし。

 

ひとつ伝えておきたいこと。

NMOであってもMSであっても、適切な診断を受けて治療を行うことで症状の進行を防ぐことができる。

NMOの場合は再発時の症状が重くなる傾向があるらしいけれど、この点も個人差による部分は大きいのではないかなぁと思ったり。

 

 

ステロイドパルス2日目から血糖値が上がるようになった。

朝食前の測定でも135、昼食前には153にまで上がり、今まで『血糖値』という単語と無縁の生活を送っていた身としては、さすがに不安になる。

(ちなみに、後日看護師さんに相談したところ「点滴中は上がりやすくなるので気にしなくて大丈夫」とのことで)

 

2日目のパルスは初日のような吐き気もなく、3時間半ほどでスムーズに終了。

関節の痛みが出ることもなく、この日は平穏無事に眠りにつくことができた。

入院初日:視神経炎の治療開始

バタバタと仕事の引継ぎを終えて、入院初日。

視神経炎の治療、ということで眼科病棟での入院になった。

入院したのは6人部屋で、同室の方はみなさま白内障の手術を受ける人(もう受けた後の人)のようだった。当然、年齢層も高め。自分の親世代と過ごす生活がスタート。

患者さんの入れ替わりはとても激しく、私が入院してすぐに2名の方が退院、午後に1名の方が新しく入院してきていた。白内障の手術だもんね、そりゃ回転早いわけで。

 

病室に到着後、薬剤師さんから常用薬とアレルギーについてのヒアリング。

その後は看護師さんから簡単な治療の説明と食事のアレルギーについてのお話を受け、さあ治療開始…かと思いきや、眼科の先生が来るまで待機ということで1時間ほど待つことになった。幸い、お昼ご飯の時間が近かったのでそれほど暇を持て余すこともなく過ごせた。

 

視神経炎の治療では『ステロイドパルス』と呼ばれる点滴をする。

通常よりも大量のステロイドを短期間にドカン!と投与し、炎症を抑え込むという方法。

3日間の点滴を1クールとし、1クールが終わるごとに回復状況を確認するらしい。1クールで改善される人もいれば、3クールでも回復が弱い人もいるのだとか。

私が点滴で使った薬は”ソル・メルコート”という名前で、3時間かけて点滴していくという方法だった。点滴の副作用で胃を荒らしてしまうから、という理由で胃薬のガスターも同時に点滴されることに。

 

点滴開始後、強烈な吐き気に襲われる…初めての点滴に身体が反応したのか、薬剤の影響なのか。

グッと堪えて横になることで次第におさまったのだけれど、あともう少し続いていたら絶対にナースコールしてしまったと思う。普段の生活の中で感じる吐き気よりもはるかに強烈で辛かった。

 

3時間の予定で始まった点滴は、実際には2時間半ほどで終了した。

吐き気の影響もあってほとんど寝て過ごしていたので、あっという間だったなぁというのが正直なところ。

 

ステロイドパルスを行うと血糖値が上がる場合があるとかで、この日から毎食前に血糖値測定が始まった。

耳たぶに小さな針を刺し、血液を採取してその場で調べる簡単な検査。”針を刺す”といっても輪ゴムがパチンと当たるぐらいの痛みなので、本当にあっという間に終わるのだけれど。

私の場合、ステロイドパルス中の血糖値は130~150ぐらいで変動していた。パルス中でこの程度の数値なら問題はないらしい(看護師さん談)。

 

序盤の吐き気以外は順調だった初日だけれど、夜になって腰と膝の関節痛に悩まされた。

関節痛の他にも、暑いわけではないのに額や太ももが汗でびっしょりになったり。

結局、この晩はほとんど寝付けなかった。

MS(multiple sclerosis:多発性硬化症)発症の経過(その4)

大学病院に行くことが決まった時点で、実家には連絡を入れていた。

母親に話すと死にそうな様子で心配し始めるのが目に見えていたので「お母さんには内緒ね」と、父親にだけ(笑)。

父親には大学病院での診察が終わってから改めて報告したのだけれど、第一報の時点で症状や治療法、経過などひと通り調べていたようで。

アメリカでは放っておいても9割は元に戻るっていうし」と意外と楽観的な発言だったので少し安心した。これが母親だったら、大変な騒ぎになっていたはず。

 

月曜日に神経眼科の偉い先生に診てもらう予定は、検査結果が出揃ってからの方が良いでしょうということで水曜日に延期。

せっかく上司に月曜半休の許可をもらったのに…!

 

7日目(日曜日)

この日を境に、症状がグンと悪化したようだった。

前日までは”文字がある”ことは認識できていたのに、この日になるとそれすらもわからなくなった。携帯電話のバックライトも、信号機も、テレビの光も認識できなくなり、左目はほぼ役に立たない状態に。

実際に見えなかった(と感じていた)箇所は視野の中心部分のみで、これは『中心暗点』という症状らしい。

ならば視界の端をうまく使えば見えるんじゃね?と思って実際に試してみるも「見ようとする」際には必ず視野の中央に視線がいくわけで…相当意識していても、視界の端をうまく使うことは難しかった。無理。

 

8日目(月曜日)

左目がほぼ使い物にならないながらも、なんとか出勤して仕事をこなす。

右目に負担をかけながら、なんとか1日を過ごすことはできた。

実は一番苦労したのは、メイクのとき。右のアイラインをひくときには当然、右目を瞑らなくてはならぬ。かといって左目はほとんど見えない状態だし、たかがアイラインでかなり悪戦苦闘した記憶がある。

 

9日目(火曜日)

この日の記録は何故か残っていない。恐らく、月曜日とあまり変わらなかったのではなかろうか。

 

10日目(水曜日)

神経眼科の偉い先生に診てもらう日。

分厚いルーペみたいなもので左目を見るなり「腫れてるじゃないか」と。

今日から入院、と言われたけれど、そんなの聞いてないよ!

ということで、何とか頼み込んで翌日からにしてもらう。初診を担当してくれた女医さんからは「入院できるように準備してきてほしかった」とやや恨めしげに言われたけれど…。

そんな急を要する事態だとは思わなかったし(偉い先生の診察が延びたぐらいだし)、いくらか猶予があると思っていたので当然用意なんてしているわけもなく。

仕事の引継ぎもあるので、とお願いして翌日木曜から入院に突入することに。

 

この日は1日お休みをもらっていたのだけれど、翌日から入院となったので、診察が終わってすぐに上司に電話。カクカクシカジカで、と事情を話し、その足で会社に向かい急遽引継ぎの相談を。月末やらなければならない処理がほぼ終わっていたことは、不幸中の幸いだった。念のために、と前日頑張った自分を褒めたい。

 

結果から言うと入院期間は9日間だったのだけれど、この時点では「はっきりとした期間はわかりません」と言われていた。治療の効果がすぐに出れば1週間程度、効果が見られなければもう少しかかる、と。

仕事を離れるのに予定が分からないことを申し訳なく思いながら、ともかく入院生活がスタートしたのだった。